「グローバル化」って良いことなの??

グローバル化、と聞くと何を連想するだろうか?

多文化共生、または文化の消失など、文化に関することが多い気がする。

 

いずれにしても、グローバル化には比較的良いイメージを持っている人が多いのではないだろうか?

近年、高校や大学で「グローバル科」「国際科」が流行っていることがそれを象徴している。

 

そんな僕も、高校は国際コミュニケーション学部、大学はグローバルコミュニケーション学部に所属している。

 

しかしとある教授に、「グローバル化とはつまるところ、『富の偏在化』を指す」と教えていただいた。

このことをきっかけに、当たり前に思っていた「グローバル化」について考えるようになった。

ここではグローバル化を違った角度から見て、理解を深めていきたいと思う。

 

 

グローバル化とは・・・

人類を「お金(資本主義)」というツールで生活をさせることである。

 

人は何のために生きるのか?僕はおそらく幸せになるために生きているのではないかと思う。

 

では幸せになるためには何が必要か?お金か?

 

いいえ、お金があることと幸せであることは関係はあっても比例はしない。

現に「先進国」などと呼ばれている日本が、世界一うつ病患者が多く、世界一自殺者が多いことがそれを物語っている。

 

つまり人は、食べ物を採る、育てることをして、自分が住む場所を作れれば、自然とコミュニティーを形成し、幸せになることができる(ただしもちろん対立なども問題は起こりうる)。

 

お金という仕組み自体はよくできているが、

それだけが今の世の中で正しいとされてしまっている。

 

 

例えば、あなたが「お金(資本主義)」というシステムを開発した人だとしよう。

3人でこのシステムを適用すれば、1人当たり10ずつ持つとすれば、あなたはいくらお金持ちになろうとしても、相対的には30しか手に入らない。

 

しかしこれが10人になればどうだろうか?

10人が10ずつ持てば、それは合計100になる。つまりあなたは最大で100のお金を持つことができる。

 

そう、つまり大企業やお金持ちにとって、「お金(資本主義)」というシステムで活動する人が増えれば増えるほど、

自分たちの利益を増やすことができるのだ。

なぜなら自分たちが一番お金の流れと増やし方を熟知していて、そして政治、教育、メディアをお金で支配することにより、大多数の人に「お金(資本主義)」の本質的なルールを知られずに済むからだ。

 

 

大企業やお金持達は自分たちのルールを世界中に押し付けるために、

次々と世界を侵略していったのではないか??

 

現に今では、「発展途上国」と呼ばれる国々は、

「資本主義社会で生きていくため」の教育を必死に受けていて、日本もその援助をしている。

しかしその行為は、その地域の人々の自由をどんどん奪っていく行為に過ぎない。

なぜならいくら経済を勉強し、お金の仕組みを理解したところで、最初にこのルールを使い始めた人たちを超えることは決してできないのだから・・・

 

 

「お金」とはいわば「対価」であり、それは本来物々交換など、様々なルールが各地域に存在してもいいはずである。

しかし今では「お金(資本主義)」のルールだけが世の中の常識となり、それにまだ適応できていない国は「発展途上国」と呼ばれ、このルールで完全に社会が回ってしまっている国を「先進国」と呼ぶ。

上記で述べたように、実質的には何も「先進」していない。

 

 

最終的に平和な世界を作るためには、すべての人は繋がっているということを認識する必要があるため、そういう意味でのグローバル化は必要であり、また今の時代避けては通れない。

 

上記はあくまでもグローバル化の持つ負の一面のうちの一つに過ぎないが、

この一面一つをとっても、今の世の中の様々な問題の原因が見えてくるような気がする。

 

どうすれば、平等に世界が一つになれるのか?

いずれにしても、今の僕には代替案を出すほどの知識がない。

もっともっと学び続けたいと思う。