作られる「日中関係」
僕は中国語学科の学部に所属している。留学も北京に1年間行った。
日中関係の話になると必ず
「今は日中関係は良くないから・・・」という流れになる。
しかし不思議に思う。
本当に関係は悪いのか?国家レベルと民間レベルは明らかに違うのではないか?なぜ「日中関係」は簡単に悪くなったり良くなったりするのか?
なぜ中国人とまともに話したことのない日本人が、日本人に直接会ったこともない中国人が、お互いを嫌い合うまでに至るのか?
この記事では、「日中関係」の変遷について述べたいと思う。
今では想像もしにくいかもしれないが、実は「日中友好」の時代が長く続いた時期があった。
それは、田中角栄、竹下登、小沢一郎ら自民党党員がODA(政府開発援助)という形で中国に日本の税金を投資していた時代のことだ。当時中国は今のように経済発展する前だった。
日本列島の開発は一段落したこの時期、彼らは中国の公共事業を日本のゼネコン(請負者として各種の土木・建築工事を一式で発注者から直接請負い、工事全体のとりまとめを行う建設業者)に受注させて、その儲けの一部を自分達のものにしていた。
つまり「投資して発展させてやったんだから、その儲けの一部をよこせ」ということだ。
このような政権が国を動かしていたので、当時の日本は「日中友好」だった。
自分達のお金を投入しているわけだから、投資先の国を無下に扱うことは当然しない。
・・・さて、今の「日中対立」構造は、小泉政権(中国/江沢民政権)の時に始まった。
小泉政権(安倍政権も)は自民党の中で親米派であり、極右派だ。
最初は田中派と縁が無く金もなかった小泉元首相だったが、田中派の金権腐敗を機に世論を味方につけ一気に政権を取った。親中派の政権が終わったのだ。
ここで親米派が政権を取ったことが、実は中国にとっても、そしてアメリカにとっても都合のいい結果となった。
中国は、鄧小平時代に完全社会主義から、経済の自由化が図られた。
経済の自由化は当然ながら貧富の差を生み、共産党の権力が金を生むシステムを作り上げてしまった。必然的に国民の不満が溜まり、それはやがて各地の暴動に繋がって行った。
中国共産党はこの国民の怒りの矛先を自分たち以外、つまり日本へ向けるために、江沢民政権の時に「反日教育」が本格的に始まった。反日勢力の誕生である。
(これは僕が北京へ行って実際に知ったことですが、中国のテレビでは常に反日ドラマが流れ続けているチャンネルが存在する。)
・・・実は「日中対立」構造はアメリカにとっても非常に都合がいい話なのである。
『日本と中国が「互いに殺し合う」ように仕掛けている謀略国家』
http://www.bllackz.com/mobile/contents.php?mode=c&f=20130511T1648000900
この記事に書いてあるように、アメリカは大量の国債を中国と日本に買われている。
つまり、アメリカは中国と日本に多額の借金をしているということになる。
その歴史のほとんどで軍需産業により儲けを出してきたアメリカは、今大変な経済困難状態にある。中国と日本から借りたお金を、到底返せない状態になっているのである。
そうなれば、アメリカとしてはぜひ中国と日本に争ってもらい、武器を買ってもらい、そしてお互いが潰れあうような状態になれば、借金返済の必要もなくなる上に、軍需産業で一儲けできるという構造である。
親米派である小泉政権、そして今の安倍政権もこのアメリカの流れを手助けすることは当然のことである。
こうして3国の利害が一致し、「日中対立」構造が完成する。
おおざっぱではあるが、以上の事からわかるように、
「日中関係」はその時の国の都合で簡単に書き換えられる、ということである。
「でも、今現に尖閣諸島問題とかあるやん!」
と突っ込みたくなる人もいるだろうが、「日中友好」の時代はただ取り上げられなかっただけである。逆に今は「領海侵犯」などだけが大きく都合よく取り上げられているが、最近日本の周りをアメリカの戦艦が巡回していることは報道されない。
中国がアメリカを警戒して海へ出ることは当然の事なのである。
それほどまでにメディアはその時の執政者とお金で深い結びつきを持ち、第三者的立ち位置を担えない・・・
以上が、今の僕にできる簡単な日中関係の変遷のまとめである。
最後にもう一度言っておきたいのは、
「日中関係」はその時の国のトップの都合で作られる
ということである。
騙されてはいけない。ニュースを見て、「中国人(何人でも同じ)嫌い!」と安易に思ってしまうことは、どこかの権力者の思う壺になってしまっている可能性が非常に高い。
利用されないためにも、今の国と国の関係性をなるべく客観的にとらえる必要がある。
平和のためには、「国」と「国民」を分けて考える必要がある。
そして人を「何人」ではなく、「その人」として見ることが大切である。
僕は自分が何人か?と聞かれれば「地球人」と答えたい。
国により分けられる「○○人」は、対立や争いを作り出すために利用されることがあまりに多い。
私たちはみんな同じ地球に住む、ちょっと見た目が違うだけの同じ人間である。
(犬が犬種の違いからお互い忌み嫌い合うことはないだろう)
それが世界の共通認識になる日を、僕は目指す。
最後まで読んでいただきありがとうございました。